暮らしとともにあるチーズ
~ゼンキュウ
ファーム~

白い滴のマリアージュ

今回のテーマ

暮らしとともにあるチーズ
~ゼンキュウファーム(広尾町)~

「ピロロ」(陰になったところ)の意味を持つ広尾町。狩勝(かりかち)峠から続く峰高い日高山脈の南端にあたる山々に向かう、天馬街道の国道沿いにゼンキュウファームはある。
雄大な十勝平野は、小麦やビート、大豆などの畑作主要作物ができると思われがちだが、南十勝といわれる大樹(たいき)町、広尾町は、十勝中央部と比べ冷涼な気候であることから、酪農業が盛んであり、また酪農の新規就農者の受け入れを積極的に行っている地域である。

ゼンキュウファームは、宮崎県出身の久保善久さんが1980年に就農。愛知県出身で、動物のいる生活を夢見て帯広畜産大学に進んだ悦子さんが、酪農のかたわらチーズをつくる。

ゼンキュウファームに立ち寄るようになって10年近くたつが、悦子さんとチーズそのものの話をした記憶がない。雨が多い初夏には、牧草収穫の話から、越冬用の乾燥やサイレージの品質のことを話し、猛暑が続いた晩夏には、木陰で休む牛たちを見ながら、牛が嫌がるアブ対策の装置の話、例年にない雪深い冬には、馬の背丈以上に雪が積もったパドックを眺めながら、発電機の必要性のこと、やがて訪れる春の話をする。

「こないだあの人と会ったんだって?あの人、ウチによく来るんだわ」、「こないだ『チーズのこえ』に知り合い行ったでしょ?あれ、私のいとこなんだわ」という話になる。人が大好き。だから、悦子さんを通じて、いろんな人とのつながりが広がる。

日高の山の峰のもと、放牧されている牛たちや、馬や犬とも戯れたら、尽きない話の続きを自宅に併設されている喫茶ルームに移す。話をしながら、悦子さんが出してくれるのは、チーズやミルクのほか、手作りの天然酵母のパン、季節の野菜を使ったケーキやクッキーなどなど。

チーズを味わいながら、そのチーズがつくられた時期の乳の話、牛のこと、天気のことなどに話がさかのぼる。いわば、チーズは主役ではなく、ゼンキュウファームを語るひとつのツールにすぎない。パンも、ケーキも、着飾るものはひとつもない。すべてが、ゼンキュウファームの暮らしそのもの。

善久さんは、広尾町森林組合の組合長も務めている。日高の山々とそこからいくつもの川を経て豊かな森の栄養が太平洋に流れ出て、豊かな水産資源につながる。その森と海の循環のあいだにあるゼンキュウファームの営みも、森里山海の循環の中にある。

その素朴なチーズのひとかけらは、ゼンキュウファームからつながる森、里、海や、この場所に関わる全ての人につながるかけはしのようなものなのだ。