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畑作複合農家
畑作複合農家歴
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山下 義博さん(77歳/美深町出身)

畑作複合農家歴
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山下 義博さん(77歳/美深町出身)

畑作複合農家歴
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山下 博史さん(50歳/美深町出身)

畑作複合農家歴
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山下 博史さん(50歳/美深町出身)

地域の農を担うために受け継いでほしいこと、新たに取り組んでいきたいことを、二世代に聞くシリーズ。
最終回は、上川管内・美深町の畑作複合農家、山下義博さんのご家族です。

Q

就農したきっかけは?
その時に思っていたこと、苦労したことは?

父を喜ばせたくて就農。
働きながら農業を勉強

農家の三男として育ち、工業高校に進学しました。当時は国鉄の電化工事が始まり、電気分野は就職で引っ張りだこ。親父は何も言いませんでしたが、継いでほしそうな顔をしていたので就職活動はしませんでした。父の代で酪農から稲作に転換し、就農した年は冷害に見舞われて苦労が多かったです。働きながら農業学園で技術を学び、新しい知識を吸収しました。お金はなかったけれど、仲間もできて面白かったです。

父の体調不良を機に就農。
会社員とのギャップに苦労

小さい頃から母に「農家は大変だから違う仕事に」と言われ、大学卒業後は小売業に就職。38歳の時「父の不調で来年から大変かも」と連絡があり、地元や家業を知らないまま定年まで働くことに疑問を抱くようになりました。「農業は尊い仕事だから戻るべき」と上司に背中を押され就農したものの、明日の作業内容も分からず3カ月間休みなし。このままでは社員が長続きしないと思い、マニュアルを作り可視化しました。

Q

次世代に受け継いでもらいたいことや、
先代から受け継いでいきたいことは?

四六時中明るさを絶やさず
手を差し伸べる存在に

還暦を過ぎた頃、そろそろ農家を辞めようと身辺整理をし、「明日何をしよう」と布団に入った時にふと寂しくなり、62歳で起業しました。農業は、隣が離農すれば自分がもうかるわけでもなく、自分だけがもうかればいいという考えでは長続きできません。社員や社長には、「昼間の蛍光灯のような会社」でありたいと話しています。四六時中明るさを絶やさず、「ここに相談すれば何とかなる」。そんな存在を目指してほしいです。

サラリーマン農家を増やし
死ぬまで農業を続けたい

近々入社する社員には、農家出身者が1人もいません。農業は経験者の指導があれば誰でもできるので、会社員の形から農業者を増やしたいという思いで採用活動に励んでいます。父の受け売りですが、農業は国を守る仕事。作物を作るだけでなく、たとえば洪水対策として河川の水門管理や冬場は主要道路の除雪作業など、農家は地域のインフラを支える役割も担っています。だからこそ自分は死ぬまで農業を続けていきたいです。