ホクレン

〜1974年から、北海道農業の挑戦とともに〜 GREEN 1974→

北海道の食文化と郷土料理

もっとおいしくなあれ

北海道産農畜産物を楽しむための工夫や知恵、情報を発信し続けているGREEN。このコンテンツでは、「食文化」、「食卓の風景」、「調理のニーズ」、「食の嗜好や意識」をテーマに、専門家へのインタビューを通してこの50年を振り返ります。おいしい笑顔を育むために、移り変わっていったもの、いまも変わらないことをみつけてください。

Vol.01北海道の食文化と郷土料理

学校法人光塩学園理事長 南部ユンクィアンしず子 さん

約50年前が、北海道の食文化のターニングポイント

この50年の食を振り返る前に、北海道の食文化のルーツを南部ユンクィアンしず子さんに尋ねました。「私の祖父は宮城県、祖母は新潟県出身であるように、開拓を機に全国各地から多くの人が北海道にやって来ました。そうした人々のふるさとの調理法と北海道の食材が出会い、生まれたのが、北海道の郷土料理です。一方、北海道には、日本の他の地域より早く、洋風の食事が取り入れられたという特徴があります。これは、開拓期に米国などから来たお雇い外国人やお抱えコックさんが自国の料理を持ち込んだためで、早い時期から酪農が導入され、バターやチーズの試作も行われていました」。
 
1972年に開催された札幌冬季五輪大会が、北海道の食文化の大きなターニングポイントだったとして、南部さんは当時をこう説明します。「札幌市内の有名ホテルのシェフが選手村のレストランに応援で入り、テレビは国際色豊かな料理を盛んに紹介していました。そうしたことで料理の世界の国際化が一気に進み、札幌市内には本場のフレンチを食べられるレストランが誕生します。また、調理師専門学校ではフランス以外の国の料理なども教えるようになり、母が創設者で校長を務めていた光塩学園調理師専門学校では外国語の勉強も必要と考え、私はここでフランス語を教えていました」。GREENにも早い時期から、オードブル、バター料理、牛乳を使ったレシピが掲載されています。洋風の食事への関心が高まっていったことがうかがえます。
 
GREENが誕生した1974年には、札幌市の学校給食の一部で米飯給食が始まりました。「この頃から、北海道のお米がおいしくなっていきましたね。ごはんはさまざまなおかずと合わせられますから、給食を作る人にも食べる人にも好まれたのではないでしょうか」。

■南部ユンクィアンしず子さん
1948年、北海道網走市生まれ。和光大学文学部芸術学科卒業、パリ大学ソルボンヌ校フランス文明講座修了。73年より光塩学園勤務、98年より現職。著書に『南部しず子の新・漬物160』(北海道新聞社)。共著に『懐かしいけど新しい 南部あき子のアイディア料理』、『ジャックおじさんの料理日記』(北海道新聞社)など。
(上)1977年2月発行GREEN No.18
(下)1976年10月発行GREEN No.16

道内では主流、道外では驚きの郷土料理「甘納豆赤飯」

北海道の郷土料理の中には、生粋の道産子もあります。「甘納豆赤飯」がそれで、道民の間では赤飯に入れるのは小豆ではなく甘納豆という感覚が主流でもあります。道内のコンビニエンスストアでは「甘納豆赤飯」のおにぎりは定番で、GREENにも「甘納豆赤飯」は3回登場しています。これほど身近な郷土料理を考案したのが、南部さんのお母さんの南部明子さんです。
 
「昭和20年代、仕事をしていた母が、忙しいお母さんでも手軽に作れるようにと考えたようです。小豆のお赤飯ほど手間をかけずに、子どもたちが喜ぶものを食べさせたいという気持ちから生まれたものです」。うるち米ともち米を半々にして、塩と食紅を混ぜて炊き、火を止めて蒸らすときに洗って水切りをした甘納豆を入れます。器に赤飯を盛り、黒ごまと塩を混ぜたごま塩を振り、薄切りの紅しょうがを添えたら出来上がり。明子さんが作り方を講習会などで教えると、お菓子屋さんの甘納豆が売り切れになったこともあったそうです。
 
南部さんのフランス人の亡きご主人は、最初に食べた時に「これは食事なのか、デザートなのか」と戸惑ったそうです。「フランスでは、甘いものはデザートという感覚があるからでしょう。懐かしい思い出です」。全国に読者がいるGREENでも、「ご飯?それともお菓子?」というタイトルで「甘納豆赤飯」が登場したことがあります(写真右/2001年9月発行 No.197)。道民以外の方に話をすると驚かれるこの郷土料理は、フランス人にとっても驚きの料理だったようです。
 

出典/農林水産省「うちの郷土料理」

道産子気質が郷土料理のバリエーションも広げる

ラーメン、ジンギスカン、石狩鍋などと並んで、スープカレーも北海道発の料理として広く知られるようになりました。「チキンなどのお肉と、じゃがいも、にんじん、ブロッコリーなど、北海道でとれる野菜がたくさん入った北海道らしい料理です。もはや郷土料理の一つといっていいでしょうね」。興味深いのは具材やスープの作り方、盛り付けなどがお店や家庭によって異なることです。「北海道の人は、新しもの好きで好奇心が旺盛です。食に対しても個性を大事にして、自分に合ったものを求めていきますから、スープカレーも一定の形式にこだわらず、バリエーションが広がったのでしょう」。じゃがいもで作る北海道の郷土料理「いももち」も味の種類が多く、そのアレンジから「かぼちゃもち」が生まれたことも、道産子気質によるのかもしれません。GREENでも、いももちは数多く紹介しています(写真右/2002年9月発行 No.203ほか)。チーズや豆を入れたり、バターで焼いたり揚げたりと、アレンジは多彩です。
 
道民は「ザンギ」と呼ぶ鶏の唐揚げにも、北海道らしさがあると南部さんは感じています。「ザンギは肉にしょうゆやみりん、酒などで下味をつけてから揚げますね。こうした調理法は、羊肉を使うジンギスカン、かつてよく食べられていた鯨肉の料理でも昔からよく採られていました。ひと手間で匂いが消え、肉質がやわらかくなり、よりおいしくなることから、さまざまな料理に応用されていったのでしょう」。豊かな大地、四方を囲む海からいただく恵みと、もっとおいしく味わいたいという道民の食いしん坊精神が、郷土料理にも反映されているようです。
 

出典/農林水産省「うちの郷土料理」

北海道のおいしい食材を生かすことを大切に

50年の間に北海道の食文化、郷土料理は変わった面もありますが、実はそう大きな変化はないと南部さんは語ります。「私自身が、嗜好に大きな変化はありません。また、いたずらに変化を求めるだけが良いことだとも思わないのです」。
 
南部さんが東京の大学に通っていた頃、学園祭の出店で北海道のじゃがいもを焼いて、バターをのせて提供したところ、「こんなにおいしいじゃがいもを食べたことはない」と飛ぶように売れたそうです。また、今も昔も、転勤や観光で北海道に来た方々は口々に北海道のものはなんでもおいしいといいます。「私も北海道の食材はおいしいと思います。その良さを生かすことを大切にして、食材の組み合わせを工夫したり、いまある調理法に+αの手間を加えたりするくらいがちょうどいいのではないかと思いますね」。
 
最後に、南部さんは忘れられない料理として「酪農鍋」を紹介してくれました。鍋にサラダ油を引き、キャベツ、じゃがいも、玉ねぎ、ベーコン、チーズの順で何度か重ね、最後に牛乳を注いで火にかけるもので、仕上げに好みでトマトケチャップを加えるのだそうです。「これも母が考案したもので、スキー遠足の日の夜は必ずこの料理でした。家に帰ってくると『酪農鍋』が煮えた匂いが迎えてくれ、口に運ぶたびに凍えた体を温めてくれました。引き継がれていく料理、ふと食べたくなる料理というのは、こういうものなのだと思います。家庭にはそれぞれの味があり、その味は思い出と一緒に記憶に残ります」。
 
北海道産農畜産物は、いまでは全国で手に取っていただくことができます。もっとおいしくを目指して生産された、顔ぶれ豊かな食材をパートナーに、もっとおいしい一皿が生まれ、そこから笑顔が広がっていくことを、GREENも願っています。
 

(下)酪農鍋 写真提供:光塩学園調理製菓専門学校