時代、地域が交わり、織りなすチーズ
~チーズ工房アドナイ~

白い滴のマリアージュ

今回のテーマ

時代、地域が交わり、織りなすチーズ
~チーズ工房アドナイ(興部町)~

町の西部を流れる興部(おこっぺ)川と藻興部(もおこっぺ)川が、かつては合流して海に注いでいたことから「オウコッペ(互いにくっつくもの)」が語源とされる興部町。

熊本出身の堤田克彦さんが、乳業会社の勤務を経て、この地に移り住み、チーズ工房を立ち上げたのが1994年。

群を抜いてクオリティの高いモッツァレラチーズ、その時代に国内で誰も作っていなかったウォッシュタイプ、ブルーチーズなどに取り組み、その数は15種類以上。日本の食卓やレストランに、日本のチーズの存在感を示した第一人者であることに間違いない。

どんな原料乳からでも、一流のチーズに仕立て上げるのが職人の仕事と言い切る、まさに職人。3つの牧場の生乳を用い、その牧場のそれぞれの特長を引き出すため、特に日々変化する放牧乳を使うときは、より神経を使う。

堤田さんが、自分のチーズに関し、「万人受けする必要がない」と言い切るのは、人生と同じだと思う。人の評価、人の顔色、いまであれば、ネット上の匿名のSNSで「評価」「評判」が書き散らかされる現代の世の中だが、自分の味を好きになってくれる人、その人の為に、誠実によいものを届け続ける。それでいいじゃないかということ。

「もうひとつ大事なのは」と、堤田さんが続けるのは、「日本のチーズ工房の生産量は、ヨーロッパと比べたら家庭消費レベルと笑われる。できる範囲で生産量を増やし、価格も手頃なものにしていくことも、作り手としての使命だと思う」。

そのために、品質をより高めるための努力は、いくつになってもとどまることをしらない。クオリティの高い生乳の殺菌器があることをネットで調べ、その機械の買い付けのために東欧まで飛んだのはつい数年前。

工房創立から四半世紀がたった。「好きだからやってるだけだよ」と照れた笑いとともにいいながら、地元の子供たちのサッカーチームの育成につとめるなど、心底、地域のこれからのことを考えている。

10人いる子どもたちのうち、娘たちの名前をチーズに付け、息子たちが、現在はチーズづくりに奮闘している。

偉大なる父の背中は大きく、それを超えていくのは大変だろう。しかし、世代が織り交ぜ、地域とともに育まれるこれからのアドナイのチーズが楽しみでならない。