髙橋 真彰さん
祐依さん
(JA宗谷南)
農家の時計

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今回の農家さん

髙橋 真彰さん 祐依さん(JA宗谷南)
栃木県出身。地元の農業高校を卒業後、北海道の農業系大学に進学。滝上町での牧場勤務を経て、2019年に枝幸町(えさしちょう)に移住。2022年5月に新規就農。妻の祐依(ゆい)さんは、旭川市出身。大学で真彰さんに出会い、ともに酪農の道へ。2022年10月に長男・梛理(なぎさ)くんを出産。

JA宗谷南の特産物『生乳』とは?

JA宗谷南のある枝幸町は、北海道の北部に位置し、東はオホーツク海、西は山々に囲まれた自然豊かな町。同JAの組合員は、ほぼ酪農家で構成されているという、酪農がとても盛んな地域です。
生乳とは、「搾乳(さくにゅう)されたままの乳」のことで、人の手が加えられていない乳のことをいいます。同JAによると、現在98戸の酪農家が年間5万トン以上もの生乳を出荷しており、その全量は『よつ葉乳業』の宗谷工場に納入されています。工場に運び込まれた生乳は、菓子や飲料の原料となる全粉乳(生乳から水分を除き、粉末状にしたもの)に加工されるほか、宗谷地域の海水塩でつくるご当地チーズ「宗谷ゴーダ」の原料乳としても使用されています。
 

■髙橋さんの1日(12月中旬の一例です)

牛の搾乳は、
朝6時と17時の1日2回

髙橋さんは現在、祐依さんと二人で88頭の乳牛を飼育しています。牛の搾乳は、朝6時と17時の1日2回。ミルキングパーラーと呼ばれる搾乳専用の部屋に、牛たちを誘導する作業から始まります。祐依さんは、ミルキングパーラーに入ってきた牛たちの足元をトントンと触れて、適切な位置に留まるように優しく促します。
搾乳の作業は、「ミルカー(搾乳機)の消毒」「手搾り」「乳頭の消毒・清拭」「ミルカーの装着」の大きく4つに分けられます。「機械で搾る前に、一頭一頭手搾りをするのは、生乳の異常を事前に発見する目的があります」と真彰さん。殺菌された清潔なタオルで丁寧に乳頭を拭き取り、異常が無い事を確認した後、ようやくミルカーを装着します。
搾乳が終わるたびに、二人はミルカーを一台一台手際よく綺麗に洗い流していきます。そうして一連の作業を規則的に繰り返すこと、およそ1時間半。すべての牛の搾乳が終わると、部屋の隅々まで清掃してようやく作業が完了します。髙橋さんによると、搾乳量は1日で約1400ℓ、つまり牛乳パック1400本分にもなるそうです。
 

組合長の言葉に心を打たれ、
枝幸町で就農

札幌の中心部から車を走らせること約4時間、枝幸町は北海道の最北部に位置する宗谷地方にあります。町に近づくにつれて、田んぼやビニールハウスなどは見かけなくなり、自然との境目がつかないぐらい、牧草地の壮観な景色が広がっていきます。
髙橋さんが、酪農に興味を抱いたのは高校生の頃。「もともと動物が好きでしたが、酪農の現場を見学して、牛と人との距離の近さに魅力を感じるようになりました」。酪農を学ぶために北海道の大学へ進学し、オホーツクや十勝など、各地の牧場で研修を重ねてからは、“自分の牧場を持ちたい”との思いが強くなっていったそうです。一方で、新天地で一から酪農を始めたいという髙橋さんにとって、牛の購入など新規就農にかかる初期投資は大きな壁でした。「そこで、離農者が使っていた牛舎などの施設を活用して就農したいと思い、各地のJAに問い合わせをしました。枝幸町で就農することを決めたのは、JA宗谷南の代表理事組合長、向井地信之さんとの出会いが大きかったからです」と髙橋さんは振り返ります。
「この町に来るまでは、実は枝幸町がどこにあるかも知らなかったんです。組合長には、1日でも早く就農したいと気持ちを伝えたところ、“酪農をしてくれるなら、どこの町でもいいと思う。けれども、もしこの町に来るなら全面的に面倒を見るから”と言ってくださったんです。その言葉に心を打たれ、妻とともに移住を決めました」
 
JA宗谷南では、酪農生産基盤の強化のため、町や農業推進連絡協議会などと一体となって就農者の支援活動を積極的に行っています。新規就農者を対象にした誘致促進セミナーを定期的に開催しているほか、農業改良普及センターなどの関係団体とも連携し、地域ぐるみの営農支援システムを確立。毎年、移住者や外国人など多様な人材を受け入れています。
 

経営者の目線も加わり、
経営の安定化にも気を配る

髙橋さんが離農した生産者から引き継いだ牛舎は、フリーストールと呼ばれるもので、牛が自由に動き回れるスペースがある広々とした造りが特徴です。就農以前は、1頭ずつスペースが仕切られているつなぎ飼いの牛舎での経験しかなかった髙橋さんにとって、フリーストールでの飼育は、初めての挑戦でした。
「将来の規模拡大を見据えて、フリーストールでの飼育にチャレンジしてみたいと考えていたので、この牛舎と巡り会えて幸運でした。初めのうちは、経験者である妻に教えてもらいながら、作業を覚えていきました」
祐依さんは、「毎日の作業で心がけているのは、できる限り手を抜かないこと。ただし、神経質になりすぎないように気をつけています。子育ても1年目で、私たちも牛たちも、初めての環境にまだ慣れていない部分もありますが、少しずつ慣れていけば、自分の時間ももっと増やせると思っています」と話します。
牛舎の奥には子牛専用のスペースがあり、そこに生後3日目の子牛が、おとなしく体を休めていました。髙橋さんは「うちは、自然分娩を基本にしています。就農して初めて子牛が産まれた時はうれしかったなぁ」と話します。
今年の夏は、枝幸町でも最高気温を更新する猛暑日が続き、牛も人もハードな日々を過ごしたそうです。「牛たちの多くが体調を崩してしまい、計画通りの生産量にはなりませんでした。酪農を続けるためには、コストもかかります。道具が壊れても修理して長く使い続ける心がけや、病気などのリスクを減らして牛が健康でいることも、経営の安定に欠かせないと考えています」と髙橋さんは力を込めます。

 

牛も人も、幸せな酪農を目指したい

髙橋さん夫妻が目標としているのは、「牛も人も、幸せな酪農」です。「どちらかが無理を強いられるのではなく、お互いがハッピーな環境をつくっていきたいと考えています」と真彰さん。祐依さんは、「具体的には、家族3人で旅行に出かけることが目標です!」と笑顔で話します。二人は理想の働き方を実現すべく、従業員を雇用して、将来的には150頭程度に規模を拡大するビジョンを描いています。
真彰さんは「就農して良かったことはいろいろありますが、一番大きいのは家族と一緒に自分たちがやりたい酪農ができることです。試行錯誤の日々ですが、改善策をあれこれ考えることも楽しいです」と喜びをにじませます。
酪農業界は、今なお苦しい状況が続いています。そんな厳しい現状を嘆くことなく、就農できた喜びと、未来について笑顔で語る二人の姿に、酪農家の頼もしさを強く感じました。