ホクレン
農業協同組合連合会
代表理事
副会長
西川 寛稔
農家の時計

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今回の農家さん

ホクレン農業協同組合連合会 代表理事副会長 西川 寛稔
1961年別海町生まれ。酪農家の二代目として1981年に就農。JA中春別組合長を経て、2020年6月より現職。

 
みなさんは、ホクレンの代表役員が“生産者”であることをご存じですか?
番外編の第二弾は、ホクレンの西川寛稔 代表理事副会長を取材。生産者とホクレン副会長、両方の思いをGREENライターがインタビューしました。

──就農したきっかけは何ですか。
酪農をする上で、大切にしてきたことについてお聞かせください。

西川:私は、生乳生産量が日本一の酪農の町、別海町で生まれました。父は九州出身で、“北海道で酪農家になる”という夢を抱き、1953年に別海町に入植しました。
私が物心ついた頃には牛がいて、暮らしの中に牛がいる生活。学校から帰って来ると、放牧地にいる牛を追い、乳を搾るのが私の役目でした。長男として生まれたこともあり、後を継ぐことに疑問を感じたことはありませんでした。
就農したのは、短期大学を卒業した20歳の時です。乳牛の数は約70〜80頭でした。自然は私たちの力でコントロールすることができません。しかし、牛たちは手をかければかけただけ、生乳の「質」や「量」など目に見える形で応えてくれます。経営自体はなかなか厳しかったですが、貧しくても太陽をまっすぐに見られる生き方をしようと、家族みんなで力を合わせてやってきました。

──北海道酪農としての役割と、消費者の皆さまへ、
伝えたい思いがあればお聞かせください。

西川:食料自給率が低いと言われている日本で、生産者が努力して作った生乳を、一滴も残さず消費者に安定的に届けたいと、業界全体が思いを一つにしています。生産者の運営組織であるJAや、我々ホクレンが存在している意義もそこにあると考えています。
昨年のコロナ禍では、学校給食の停止や飲食店の休業が相次ぎ、牛乳・乳製品の需要が大幅に減少しました。その際に、国をはじめ多くのメディアの皆さまが行き場を失った牛乳の消費を呼びかけてくださり、日本中からたくさんの応援をいただきました。
全国の消費者の皆さまには、消費を支えていただき、また乳業メーカーの皆さまには、最大限の工場稼働にご協力いただき、私たちが生産した牛乳を一滴も廃棄することなく乗り切ることができました。この一年間の皆さまのご協力に、心から感謝しております。おかげさまで生産者も、皆さまにより安心していただけるものを作りたいという思いを強め、日々の生乳生産に励んでいます。

生乳からは、牛乳やヨーグルト、生クリーム、バター、チーズ、スキムミルクなど幅広い製品を生み出すことができます。このような農畜産物は珍しく、牛乳・乳製品は私たちの食生活を豊かに彩っています。
コーポレートメッセージでもある「つくる人を幸せに、食べる人を笑顔に」を実践するために、私たちホクレンは生産者と消費者の橋渡し役をしっかりと担い、牛乳・乳製品の供給を通して、皆さまの健康と笑顔に貢献したいと考えています。