暮らしのすみずみにある、北海道の乳。
「牛と一緒にいたい!が かなうのが酪農でした」
牛が結んだ夫婦の縁
札幌市や地元・新得町で調理師として働いていた進さんが、酪農と出会ったのは22歳の時。「強い思いはなく、実家に近いという理由で就職したのが、町営育成牧場だったんです」と振り返ります。働きながらやりたいことを見つけるつもりでいたところ、「ほのぼのとした牛たちのかわいらしさに、ドハマりしました」と進さんは笑います。その牧場の先輩だった三佳さんと、牛好き同士ということで意気投合。結婚を機に、進さんは就農の意志を固めました。
「この先、大手企業に勤めることは現実的ではないけれど、目の前にいる牛を、ひたすらかわいがる仕事なら自分でもできる。その道を極めるほうが面白いと思いました」
次なるステップとして二人が選んだ職場は、肉用牛の素牛(子牛)の育成牧場でした。
「哺育の技術で定評のある親方が〝夢があるならウチに来い〟と誘ってくれて、4年間みっちり仕込んでもらいました。当初は牛と過ごせるなら、肉牛でもいいと思っていたんです。けれども素牛は、愛情をかけて育てても半年程度で手放さなければなりません。牛とずっと一緒にいたい気持ちをかなえるなら酪農、という結論に至りました」
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「昨日の頑張りが、今日の搾乳の成果につながります。“今日はどれだけいい乳が搾れるかな?”と予想するのが日々の楽しみ。僕らよりも、牛たちがすごく頑張ってくれているんですけどね(笑)」と進さん
酪農とは幸せで楽しい仕事
偶然にもちょうどその頃、同町に酪農の担い手を育成する研修牧場『(株)シントクアユミルク』が誕生。運命を感じた進さんは、第一期生として入社しました。新人とはいえ、「哺育の技術なら自信があった」という進さんは、月60頭近く生まれる子牛たちの世話に、積極的に励みました。
「自分にとって子牛を育てることは、命を守る努力をすること。ものすごく忙しかったけど、それ以上に楽しかったです。どの牛も我が子同然なので、手塩に掛けて育てた牛が初めて出産した時は、涙が出そうなほど感動しました。そんな牛たちが成長し、出産して母となる姿を見届けられるのは、酪農ならではのだいご味です」
就農を目指してから8年後の昨年10月、木嶋さん夫婦は独立し、42頭の乳用牛との生活が始まりました。毎日朝5時と16時半に搾乳し、保育園のお迎え時間の18時には帰宅しています。
進さんは「夕食を食べてから、僕はまた牛舎に戻ります。22時に見回りをした後、餌寄せと牛舎の掃除をして、23時頃に帰ります。寝る前に牛たちの顔を見ると、安心して眠れます」と話します。「牛たちが1回でも多く餌を食べてくれたら、乳量は明らかに伸びますし、1回でも多く牛舎を掃除すれば、病気を防ぐことができ、乳質も良くなります。日中は眠たくなりますが、そんな時には妻という切り札がいるので(笑)。お互いに気遣いながら仕事をしています」
三佳さんは「実は家にいるよりも、牛舎にいるほうが好きなので、一日中いても苦じゃないんです」と笑います。「一頭一頭を大事にする気持ちは、この先も変わりません。やりたいことを全力でやるだけです」と付け加えます。
牛の魅力を尋ねると、二人は「かわいいところ(笑)」と口をそろえます。進さんは「一般的に〝酪農はきつい仕事〟だと思われがちですが、僕らにとっては幸せで楽しい仕事です。僕は調理師の経験もあるので、食べるものを生産するからには、少しでも安心できる品質のものをお届けしたいと思っています」と力を込めます。8月には、待望の子牛が誕生する予定。二人の楽しみが、また一つ増えそうです。
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前オーナーから譲り受けた牛舎で飼育。飼料はすべて購入しているため、将来的に牧草地を持つことが目標だそう
- 生産者 木嶋 進さん 三佳さん[ 新得町・JA新得町 ]
進さんは1984年生まれ、新得町育ち。調理師を経て新規就農。
三佳さんは宮崎県出身。高校卒業後、動物に関わる仕事に憧れて来道。