不易流行のチーズ

~あしょろチーズ工房~

白い滴のマリアージュ

今回のテーマ

不易流行のチーズ
~あしょろチーズ工房~

アイヌ語の「アショロベツ」(下る川)を語源とする足寄(あしょろ)町。町のチーズ製造の歴史は1981年に始まる。JAあしょろが、道の駅に併設されていた「あしょろ農産公社・エーデルケーゼ館」を引き継ぎ、2014年に再出発したのが「あしょろチーズ工房」。十勝のみならず、全国的に知られた2人の作り手が、ここの工房に移ることになったことも、多くの人を驚かせた。
その2人とは、「共働学舎新得農場(新得町)」で長年にわたり製造の責任者を務めた鈴永寛さんと、「チーズ工房NEEDS(幕別町)」でチーズ製造の中核を担い続けてきた佐々木司さん。2人ともチーズ製造に携わって20年以上の経験を誇る。
 
自農場で飼養する牛の乳を加工する共働学舎と違い、特徴を出しにくいのではないかと思われる人もいるだろう。しかし、鈴永さんは、「日本には指定生乳生産者団体制度があり、酪農家は毎日売り先などを心配せずに、酪農に専念することができる。その中で私は、自農場のものでなくとも、道産生乳で自分の思うようなチーズを作ることが挑戦であり、使命であると感じた」と話す。

小さな農家製工房と、大手乳業の狭間にある規模のチーズ工房。「たくさんの人の『とっかかりのチーズ』になってほしい」と、個性の強いチーズをあえて作らず、食べやすさを追求している。「農協が運営する工房として、すそ野を広げること」という方向性は、噛みしめるほどに味わいが楽しめる干し貝柱のような「熟モッツァレラ・ころ」からも感じられる。
 
「鈴永さんのすべての言葉、すべての所作が日々勉強」と、鈴永さんの背中から学んでいると言う佐々木さん。「今までは数字でチーズを作ることが多く、難しく考えすぎていた」という佐々木さんを、「規則正しすぎ、実直。誰からも信頼され、愛される人柄だが、チーズ製造に関しては壊したい」と鈴永さんは言う。
佐々木さんに、前の工房時代に製造していたチーズも含め、いまの工房で作ってみたいチーズはありますか?と聞いてみると、「まずは、しっかりと鈴永さんの作った土台を守り、継いでいくこと」と、どこまでも実直な返事が返ってきた。「魂とか、思いとか、そういうのを売りにするのではなく、僕たちが背負っているのは足寄町という地域であり、酪農家一人ひとりの営み。その日々の努力に応える『おいしいもの』を作り上げるだけ」。
変化しない本質とともに、工夫を重ね、よりおいしいものを作る努力を惜しまずに変化していく。本物の職人の不易流行の挑戦が日々続いている。