野心と挑戦あふれるチーズ
~月のチーズ~

白い滴のマリアージュ

今回のテーマ

野心と挑戦あふれるチーズ
~月のチーズ~

渚滑(しょこつ)川上流の山間盆地にあり、サクルー川との合流点付近に中心市街がある滝上町。
町の名は、その下流に大小の滝があることに由来している。

月のチーズの看板は、「クリームチーズ」。安定剤や増粘剤は使っていないため、フワフワに仕上がっている。日本のチーズ工房がつくるクリームチーズとしては、無二の存在だ。

東京出身の月村良崇さんは、小学校の課外キャンプで滝上町に滞在。畑作業、牛舎作業などが面白く、「酪農家になりたい」と思ったそうだ。以降休みのたびに滝上町を訪れるようになり、中学生になるころには住み込みで手伝いをするまでになる。
その後、農業大学校に進学し、滝上町内でまずは酪農ヘルパーとして、酪農の知識と経験をつけた月村さん。当時、滝上町には「シーサックル」という酪農家が営むチーズ工房があった。チーズづくりに興味を持ちながら、「では、自分だったらなにをつくるか」と考えたときに、フランスでは朝市で量り売りをしていて、どこの食卓にも当たり前にのぼるクリームチーズを、日本の食卓にも載せたいと考える。
添加物を使わなければ、手間はかかるし、賞味期限は短い。日本の消費文化には合わないよと、相談した人からはことごとく否定的な回答が返ってきて、月村さんは「これだけ否定的な反応があり、誰もやらないからこそ、自分が挑戦する価値がある」と、ますますやる気になった。

チーズ工房立ち上げ前に、チーズの知識と営業の腕を身に付けようと、東京の大手チーズ商社に自らの中で期限を区切って就職。すべてを吸収しようと死に物狂いで仕事をこなしていった結果、管理職、幹部候補にまで抜擢されていった。そろそろ工房立ち上げのため退職を、と切り出しても、惜しまれてなかなか辞めさせてくれなかったそうだ。

私と同じ45歳。かつ私の初任地が網走支庁(現オホーツク総合振興局)だったこともあり、仲良くしている月村さん。
私が、日本で初めての北海道産チーズの専門店を立ち上げ、北海道のチーズをしっかりとつなげていく場所をつくりたいと相談をしたときに、「『国産チーズだけの専門店なんて、成り立つわけがない』って言われたでしょ?で、今野さんは、言われれば言われるほど、やってやろうって思ってるんでしょ?よくわかりますわ、私も同じだったから。やると言ったら誰がなんと言おうとやるんでしょ。そういう男、応援しますよ」とニヤリとしながら、力強く話してくれたことを今も覚えている。