オール東川町の日本酒造り
[後編]

はるばる来たぜ、食卓へはるばる来たぜ、食卓へ

オール東川町の日本酒造り Vol.2

良い水がある。良い米がある。良い日本酒が造れる環境は整っている。これを生かしたい-。地域の足元にある地域の宝を磨こうと、東川町、JAひがしかわ、三千櫻(みちざくら)酒造が取り組んだ東川町での日本酒造り。2回目は、三千櫻酒造6代目の山田耕司社長の取材を中心に、酒造りの妙、誇り高き東川町の生産者との協働の様子を届けます。

酒は、人と自然の協働作業から

三千櫻酒造は、明治10年(1877年)、岐阜県中津川市で創業しました。「三千櫻」の名は、創業者・山田三千介(みちすけ)にちなんで付けられたものです。以来143年間、木曽山脈を望み、東側には日本百名山に数えられる「恵那山(えなさん)」がそびえ、町のほぼ中央には木曽川水系の「付知川(つけちがわ)」が流れる風光明媚な地で酒を醸してきました。「酒は、人と自然の絶妙な協働作業から生まれる。どちらか一方が強くても旨い酒はできない」。この考えは代々受け継がれ、現在も貫かれています。

酒の仕上がりが「上品であること」

老舗酒蔵6代目の山田耕司社長は、長年、杜氏として酒造りに携わってきました。三千櫻酒造の酒の特徴を「穏やかで、とがっていない。どのような料理にも合わせやすいこと」と語り、そのこころを「日本酒は食中に楽しむもの。料理のじゃまをしたり、料理より前へ出てはいけないものだから」と説きます。酒造りで特に気を配っていることは、仕上がりが「上品であること」。酒には造り手の人柄が出ると言い、目立とうとする酒、はしゃぐ酒をたしなめます。

温暖化と老朽化から移転を検討

山田社長が蔵の移転を現実的に検討し始めたのは、2015年頃から。温暖化と蔵の老朽化が、大きな理由でした。「暖冬が続き、冷却作業が難しくなりました。また、蔵は増改築を繰り返し、維持してきたものの、部分的な設備の入れ替えでは良い酒はできず、手詰まりを感じていました」。従来のやり方が通用しない現状を前に、山田社長は気候が冷涼な北海道に目を向け、各地を調べていました。その過程で、知人を介して東川町を紹介されたのです。

良い水が豊富な米どころ

「東川町を訪れ、最初に魅力を感じたのは、水です。水質はやや硬いですが、良い水です。しかも、水量が豊富です」。山田社長は、中津川では自社の山から湧き出る清水を使用し、その水を守るために水源維持に努めるほど、水を大事にしてきました。また、東川町が米どころであることも、好印象でした。全国の酒造好適米(酒米)を研究し、道産の酒造好適米の特性も把握していた山田社長の中では、当時は東川町で取り組んでいなかった酒造好適米の栽培も、やれば成功するという確信があったのかもしれません。

JAひがしかわとの共通した価値観

三千櫻酒造には、先代からの教えとして「酒造りも農業の担い手の一人である」というものがあるそうです。日本酒は、米の出来によって味が大きく左右されます。JAひがしかわでは特別栽培米への取り組みを進め、山田社長は極力農薬を使わずに育てた地元の米を積極的に使ってきました。そこには共通した価値観があります。「地元の生産者さんはスペシャリストが多いです。皆さんと力を合わせて『きたしずく』と『彗星』の育成に努め、東川だけの米を作っていきたい」。その言葉には決意がにじんでいました。

初仕込みには、生産者も参加

山田社長が移住した1カ月後の昨年11月7日、東川町に鉄筋コンクリート造、最新設備を完備した酒蔵が完成しました。「新しい蔵ではいい酒ができます。そのことは、メキシコに技術指導に行った際、私自身が経験済です」。初仕込みは11月14日。東川町産の酒米約30kgを機械で蒸した後、山田社長も蔵人として麹室で麹菌を米に付着させる作業を行いました。この日は、酒米を栽培した東川町の生産者も酒造りに特別参加したそうです。

第1号に「合格。でも、まだまだ」

今年1月30日、東川町で醸造された三千櫻酒造の日本酒第1号「純米大吟醸 彗星45」が販売を開始。軽快でキレが良く、やさしい味わいとやわらかな余韻を楽しめる出来具合に、山田社長は「合格点ではあるけれど、まだまだ伸びしろがあります。来季仕込むときは、もう少しきれいな味にしたい」と語ります。続いて、優しい甘味と爽やかな後口、ふくよかな味わいとキレの良さを持った「きたしずく 純米大吟醸/純米吟醸」などが誕生。ふるさと納税の返礼品用に、オリジナルラベルの2種飲み比べセット(写真は純米大吟醸)も取り揃えました。

100年単位の仕事も「東川スタイル」で

「酒造りは100年単位の仕事です。今、私がやっていることは未来への種まき。東川町に生まれて、東川町で育った人の中から酒の造り手やこの酒蔵を運営する人が登場し、酒造りの技術を繋いでいってくれることが目標です」。今後は、酒造りから派生して、酒粕を使ったスイーツやたい肥の開発、地元飲食店とのプロジェクト、子供たちの社会見学の場としての酒蔵活用などにも力を注いでいきたいそうです。東川町、JAひがしかわ、三千櫻酒造のチームは、日本酒造りの分野でも「東川スタイル」を極めていきます。

100年後のまち、ひとに何を残したいか。
そのために、いま、なにをすべきか。
東川町では、もうすでに、
次の挑戦が始まっているかもしれません。